頭良さそうな事を頭悪そうに語るだけ

ただの痛い語りなんで読まなくてもいいです。



最近、色んな人の自殺やらなんやらで世間は賑わっているようですね。私としては生きるも死ぬも勝手にしろって感じなんですが、私も一応ツイ廃なんでTLが盛り上がればそれなりに反応もしたくなる。それについて少し、いや多めに関係ない事を交えつつ綴ります。



・生死について
そもそも生物、生きている物である以上はいつか死が訪れる。私だっていつ死ぬか分からないし、我々が人である以上、「身内の死」に対する悲しみという部分は拭い切れない部分であり、なるべく起こって欲しくない事象である。人間は理性と感情を持っている。これが無ければ「死」に対してだけでなく、物事に対して思考をすることはほぼ無いであろう。では人間にとって、理性と感情は本当に必要無いものなのだろうか。


・理性と感情
人間の大きな特徴であるこれら。前述では必要無いものなのかと疑問提示したが、そもそもこれらが無ければ人類がここまで地球上で派遣を握り、数を増やす事は無かったのは事実だろう。単なる力比べならば野生動物の方が何倍も強い。ただこれらが、我ら人類をここまで導いてきた。ただそれは本当に良かったのか。
事実、現在地球は温暖化や大規模な気候変動が大々的な問題となっている。これらの問題は紛れもなく我々人類の理性がトリガーとなっている。人類が地球の期限を短くしているのだ。だがここでひとつ考えて見てほしい。地球もいつか終わるものであると考えるならば、この地球上でせっせと本能で子孫を残し、この地球上で種として生き長らえる生物という存在は何を目的としているのか。地球が永久に存続していくという考えから基づくのか、それともまた別の惑星に移住する事まで考えて進化していくのかではまた違ってくると思うが、そこまで話すと話題がズレるので、一応ここでは地球は半永久的に存続するものとする。


・本能
私自身、運命とか神様だとか、そういった非科学的な根拠が無いことはあまり信じないタイプなのだが、この種として生き長らえること。要するに「繁栄」する事を本能として与えられているのは何故なのか。こればかりは神様の存在を信じる他無いので、神様のせいにしておく。我々人類はいつからか本能を理性でセーブ出来るようになっていた。それは人類の中で感情を重んじる考え方が主流になってきたからだと言えるだろう。だが人間は進化しすぎた。自分の感情を守りたいという自己防衛の考えを共有し始めた。その結果感情がマイナス方向に向くことを社会が禁止し始めたのだ。これが「ルール」や「法律」だ。


・社会
社会と聞くと、人間っぽく感じるが、実は他の動物にも該当する。ただ人間のそれとは違い、本能が定めたルールによって律せられ、保たれているだけだ。動物社会において、ルールから外れた行為をしたものに対し罰を与えることは珍しくない。本能は生存と直結する。その本能によって定められたルールを破る事はその社会、または種全体を脅かす危険な行為であることは明らかである。それを痛みという形で教育し更生させる。それが動物社会における罰だと私は考える。例えるならば子供の躾である。しかし人間社会はどうだろう。罪をおかした人間には、赤の他人が決めた「懲罰」が与えられる。罰金、懲役、死刑などを用いて罪を償わせる。懲役に関して、警察は「更生」と呼ぶ。簡略化すると、誰かを不快にした人間を不快にさせられた人間以外の者が罰を与えている。これは如何なものか。懲役はもちろんのこと、罰金も大きくなれば確実に日常に弊害をきたす。それ以前に前科も着く。これらの懲罰は更生ではなく、社会において害のある人間を法的に排除することが真理なのである。人類は社会不適合者を排除する事で治安を保っているのだ。これは生物学的に効率的であるか、または非効率的であるかは私の中で結論は出ていないのだが、明らかに他生物に比べて残虐であり、社会自体の治安が悪いと言えると考える。


・自殺
少し話が飛ぶが、この話の原点である「自殺」について話したい。某サッカー選手がこう言っていた。「自殺者が多いのは、現実を変えようとしない社会、そして日本人が悪い」と。すこし違うがだいたいこういうことを言っていたと思う。はい出てきました、「社会」。前記した通り、生物社会というのは本能によって形作られる。ただ人間は本能以上に理性が発達しており、個人の防衛本能を共有し、それを元に社会を構築していった。その社会が悪いと人間が言っているのだ。社会が悪いという生物が、人間以外にいるだろうか。人間の社会以上に不完全な社会はこの地球上には存在しない。社会を1つの種としての単位で捉えるならば、人間が1番劣っていると言っても過言ではないだろう。自殺に話を戻すが、何故いけないのか。ただ人間1人の死が社会になんの影響を与えるのか。確かにアメリカの某大統領が殺されたとかになれば、大問題だ。社会に大打撃を与えるだろう。だがただ1人の有名人が死んだところで、社会は変わりはしないし、生物の長い歴史においてもなんら問題ではない。蟻社会において例えると、女王蟻と働き蟻の感覚に似ているだろうか。働き蟻が1匹死んだところで、そのコロニーに与える影響なんて微々たるものである。一つ一つの生死に一喜一憂してる馬鹿は人間以外に居ないのだ。皆、子孫と自分の命を守るために必死になっている。他人の死に干渉するほど暇がある人間はいいなという皮肉すら感じる。自殺が良い悪いという協議以上に無駄なものは無い。死に方が変わるだけである。



・総括
こんだけ語りましたが、正しいとかどうとか言っているこの記事自体が1番の無駄行為なので、私は今与えられた人間の自分という存在の中で楽しみを見つけていこうと思う。




全然まとまらない話ですみません。
ここまで読んでくださりありがとうございます。書いてて意味わかんなくなってきたので一旦終わります。また感じることが追記していきます。